知らなかった!クラウドファンディング〜準備編

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これまで事務局としてのみ関わってきた「寄付を集める」ということを、直接自分が手を動かす機会を得ることができました。

 

現在の仕事の一つであるNPO法人サンカクシャの文京区居場所事業についてのクラウドファンディグ。2021年10月1日〜11月24日「文京区で中高生や若者が自分の『好き』を探せる居場所を継続したい!」プロジェクトを目標金額100万円で実施中です。

readyfor.jp

 

クラウドファンディングは寄付キャンペーンの一つで、「ファンドレイジング7つのステップ」の要素がぎゅっと濃縮されています。

余談ですが私の屋号「セブンス・ステップ」の由来でもあります。

www.7th-step.com

 

クラウドファンディングはとにかく準備が大事!!ということを繰り返し学んできて、いざ始めると「知らなかった・・・」ということがいくつも出てきました。

今回は準備編で気づいた「知らなかった!」をご紹介。

なお、今回のクラウドファンディングはREADYFORで開設しましたので、他のプラットフォームでは異なるかもしれません。

クラウドファンディング準備の基礎知識

クラウドファンディング 成功するには」や「クラウドファンディング 準備すること」などを検索すると、いろんなページが出てきます。参考にしてください。今回は割愛します。

認定を取得していない特定非営利法人はAll or Nothing型のみ

クラウドファンディングには、目標金額を達成した場合のみ支援金を受け取ることができるAll or Nothing型と目標金額の達成の有無にかかわらず支援金を受け取ることができるAll in型の2種類があります。READYFORではその条件を下記のとおり規定しています。

All In型は、以下の団体においてご利用可能となっております。
・税制上の寄附金控除の適用対象である団体(国、自治体、大学、学校法人、認定NPO法人公益社団法人、公益財団法人、社会福祉法人など)
・上場企業

サンカクシャは認定を取得しておらず寄附金控除の適用対象外のため、All or Nothing型一択でした。

申し込むまで知らなかった・・・

プロジェクトページの準備に6週間はかかる

今回、クラウドファンディングに挑戦すると決まったのは8月中旬。その時には9月中旬から始める予定でした。4週間程度あればなんとかなるかな、くらいの認識でした。

その予定を最終的には10月1日に延ばしたのですが、ギリギリ間に合った・・・

<理由>

・一般申し込みをしてから、知人に提携パートナーがいると知り、申し込みをし直す

・申し込みをしてから READYFORとの電話相談を予約する

・プロジェクトページを作り込むのに日数がかかる

・ページの審査ボタンを押すと基本は3営業日を待たないといけない

特に、「プラットフォーム(今回はREADYFOR)に申し込みをしてから結構日数がかかる」という認識がなく、申し込み自体を遅らせてしまった・・・早く準備ページを見ながら作り込みをすれば良かったです。

一度出してしまうと修正できない、タイトル・URL(末尾のプロジェクトページを端的に表す言葉)・リターンなどは、当たり前ですが一人では決められません。団体内の関係者に案を提示し、修正をし、また確認してもらい・・・というのを繰り返していると、あっというまに日数がすぎていきました。

チラシを作るのに時間がかかる

今回はサンカクシャのアニュアルレポートの発送の予定があり、その発送にあわせて既存寄付者に予告チラシを送ることに。

webページでは多少長くなっても下にスクロールすれば良いところ、チラシの場合はA4に収めなくてはならず、さらに読みやすく・・・と、クラウドファンディングで伝えたい内容をぎゅっと濃縮しなくてはいけません。

ちなみにもう一種類、別のステークホルダー向けのチラシも作りました。チラシも配布先によって、「団体との関係性(団体の説明から必要なのかどうか)」「手に取る人に最も訴えたいこと」「手に取る人に取って読んでもらえるビジュアルになっているか」などで工夫が要りました。

チラシ自体を一から作ったことがなかったので、今回、ものすごく勉強になりました。

プレスリリースの準備に1〜2週間かかる

今回は、クラウドファンディングのページをオープンしてから、プレスリリースを作りました。もしページオープンと同時にプレスリリースも・・・ということでしたら、相当しんどかった。1週間以内にできれば・・・と思いつつ、リリースできたのは10月12日でした。

 

SNSの準備は早めに

クラウドファンディングが始まるとSNSを活用することになります。が、そこからスタートしていては遅い。TwitterFacebookでフォロワーを増やしておくことが必要です。

クラウドファンディングをするぞ!と決めた日から、着々と準備を進める必要があるのです。

 

始まってからも初めてのことばかり!その模様はまた、後日。

 

あの日のドイツ留学記〜エピソード2クリスマスにきよしこの夜

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オスナブリュック大学

注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

izmy2009.hatenablog.com

続きです。

 

ロータリー財団ホストに英語で話しかけられる

フランクフルトから列車に揺られること数時間、オスナブリュック駅に到着。ロータリー財団のお世話係の家族の家でホームステイをさせてもらうことになり、ホストファミリーのお母さんが車で迎えに来てくれました。

道中、なぜか英語で話しかけられ続け・・・ドイツ語が苦手だけど英語はもっと苦手、なぜドイツに来てまで英語を話さなくてはならないのか・・・と思い、「ドイツ語で話していただけますか?」と伝えました。

お母さんは「あなた、ドイツ語が話せるのね」といたく感激している様子、「ドイツ語が話せるのでなくて英語が話せない!」と複雑な気持ちで接していました。

夕食タイム。「さあ、召し上がれ!」と豪華な夕食が・・・

出るわけではなく、パンとハムとチーズが。

その時にはまだ知りませんでした。

ドイツでは、カルテス・エッセン=冷たい食事、つまり火を使わない食事を夕食としているのが一般的なことを。

戸惑いしかなかったです。日本にいるときに夕食をパンだけで済ませたのって、食費を削る時しかなかったから。

そんな初日でしたが、このお宅には学生寮に入るまでの間、数週間、お世話になりました。

 

大学で友人にばったり出会う

行ったばかりのエピソードとして強烈だったのが、学生保険の手続きに行った時のこと。お母さんと2人で行き、書類の内容がチンプンカンプンな中、「ここにサイン」と言われるがままにサインしたりしていると

「izmyさん!」

と日本語で呼びかけられました。

え、この聞き慣れた声は・・・

大学時代の同級生のY君がニコニコしながらやって来ました。

Y君、大学を卒業して上野のヨドバシカメラでバイトを始めたところに冷やかしに行ったくらい、まあまあ仲良しでした。が、ドイツに留学するとは知りませんでした。ましてや同じ大学!?

日本ではおそらくあまり知られていないオスナブリュック大学、日本からの留学生は4人だけでした。うち、2人は哲学を専攻している大学院生同士のご夫婦。あと、Y君と、私。

Y君には、確か、オスナブリュック大学に留学することを伝えていたんだと思います。でも私は知らなかった。

「え、どこの寮?」と連絡先を交換して、その日は別れました。

 

クリスマスにきよしこの夜

大学には短期留学生として登録したものの、授業についていける語学力は相変わらずないため、オスナブリュックでも語学学校に通っていました。

午前中に語学学校、午後はいくつか履修した授業に出席。そして図書館で文献探し。

語学学校は中級クラス。駅前のバス停からバスに揺られて20分くらいかけて通っていました。このクラスで日本人は私だけ。アジア系は誰もおらず、東欧とロシアの生徒が多くいました。先生は2人。うち1人の先生は中国語を趣味で勉強しているということで、授業以外でも話しかけてきてくれて、家に招いてくれたことがありました。

この年のドイツは「30年ぶりの大寒波」と言われ、日本で経験したことのないような寒さでした。

日本で買った安物の靴は石畳で底が擦り切れ、これでは冬は越せない・・・と靴屋さんへ。

日本の靴のサイズでは22cm、ヨーロッパサイズでは33(確か)。大人の靴のコーナーには売っていませんでした。

仕方ない・・・

キッズコーナーへ行ってブーツを一足購入。

デパートで靴下を探した時には「参考年齢:7-8歳」と書かれていて、思わず店員さんに声をかけて聞いてしまいました。

「あくまで参考だから」と店員さん・・・

ブーツを購入、セーターもプルオーバーもOK。本格的な冬の前に日本から冬服が到着しました。

クリスマスの前、年内最後の授業の日。

その日は朝から大雪でした。「でも授業だしな・・・」と語学学校に向かうと。

真面目に授業に現れたのは2人だけ。「授業はなしね」となり、クリスマスの話題に。

クリスマスの歌は何かあるか、と聞かれ、「きよしこの夜」なら、日本語でだけど、と言うと。「歌って」

「き〜よ〜し〜♪」と歌いました。

もう1人の生徒もクリスマスの歌を歌い、その日の授業(?)は終了。

 

まだ続きます。

 

あの日のドイツ留学記〜エピソード1フランクフルトとローレライ

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 私が四半世紀前の記憶を辿ってブログを書いているというと、お友だちから一言「現実逃避だね・・・」・・・はい。

 

注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

96年に大学を卒業して大学院に進学し、夏からドイツへ留学することになりました。

ロータリー財団の奨学金を受けられることになったのです。ただし「大学に入る前にフランクフルトの語学研修を受けること」の条件付きで。

相変わらず語学力が足りないまま、フランクフルトでの生活が始まりました。

語学漬けの日々

フランクフルトではホームステイ先から「ゲーテ・インスティトゥートGoethe-Institut、ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関)」でドイツ語を勉強する日々が始まりました。

www.goethe.de

クラスの半数は日本人で、アメリカ人・イタリア人がちらほら。全員、ロータリー財団の奨学生。専門は、音楽、ドイツ文学の人が大半だったと記憶しています。

初級クラスに在籍し、午前中は授業。午後はフリータイムでしたが、宿題が多く、ランチを食べたら部屋に戻ってドイツ語を勉強する日々でした。

「私たちはドイツ語を勉強しに来たのよ。日本語禁止!」とストイックなクラスメイトがいたお陰で、全員日本人の時でも片言のドイツ語で会話していました。

気楽な一人部屋

滞在先は、アパートの地下の一室。ホストの女性は別の階に住居があったので、時折、掃除の人が訪れる程度。気楽な一人暮らし状態でした。

一度、クラスメイトがホームステイ先でトラブルになり、「ホストに会いたくない」と悩んでいたので、「うち、来る?」と泊めたことがありました。

半地下のため陽の光が入りますし、語学学校まで歩いて10分程度。住環境には恵まれました。

ライン川下りでローレライの歌を熱唱

フランクフルトでは観光がほとんどできませんでしたが、語学学校のアクティビティでライン川下りに行きました。

バスで船着場まで行き、フェリーに乗り込みます。ライン川ののんびりした流れは心地良く、フェリーではコーヒーを飲んだりして過ごしていました。

クラスメイトに声楽が専門の子がいました。

ローレライライン川にある、水面から130mほど突き出た岩山のこと。水難事故が多かったことから、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」というローレライ伝説が生まれた、らしい。

そのローレライに近づくと、ローレライの歌のメロディが流れてきました。

「歌うのよ!」とストイックなクラスメイトに急かされ、楽譜を見ながらドイツ語の歌をみんなで歌ったのでした。

他の乗客からは好奇の目で見られていたに違いない・・・

急速に近づく冬とヘルペス

語学学校に入ったのは夏、のはずだったのに・・・フランクフルトは急に寒くなってきました。まだ9月なのに!夏服では寒くて仕方がないため、デパートで洋服を探すことに。

タートルネックのセーターとプルオーバーを購入。

天気も曇りが多く、鬱々とした日々でした。

そんなある日、唇に異変が。ピリピリ痛むのです。

「ひょっとして口唇ヘルペス・・・」嫌な予感が当たりました。

薬局に行って唇を見せて、塗り薬をもらいました。

弱目に祟り目。唇が治らないまま、語学研修を終えて留学先に向かうことに。

それぞれの留学先へ

1ヶ月の語学研修が終わると、いよいよ各地に分かれて留学することに。

留学地は、ベルリン・ケルン・ブレーメン・・・と、主に西ドイツに行く人が多かったように記憶しています。

私が向かうのはオスナブリュック。北ドイツのニーダーザクセン州にある中規模の街で、フランクフルトからは列車で3時間程度。

イヤホンでMr.Childrenのアルバムを繰り返し聴いていたので、列車からのライン川の眺めと「【es】 〜Theme of es〜」をセットで思い出します。

せっかく仲良くなった友だちともお別れ。感傷的になりながら、オスナブリュックへ一人向かいました。

続きは、また。

あの日のドイツ留学記〜エピソード0その2

あの日のドイツ留学記〜エピソード0その1 - 始まりの景色 の続きです。

 

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ブレーメンの市庁舎

注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

古いパスポートが出てきました。

出国スタンプと入国スタンプによると、1993年7月31日から9月5日にかけてドイツに行っていました。確か最後の1週間は自由行動で、パリとロンドンに旅行に行ったことを覚えています。

 

前回の記事のとおり、語学学校では散々な状態でしたが、観光については充実していました。今回は、期間中に出かけた旅の記録。

週末のデンマーク旅行

語学学校に通っていた最中の週末に、友人の友人が住んでいるというデンマークの首都コペンハーゲンに出かけました。

ここでの思い出はなんといっても「渡り鳥ライン」。列車に乗っていると、そのままフェリーに車両ごと乗り、フェリーでは海上の景色を楽しみ、デンマークに着くと再び列車に乗り込む、というものです。

こちらの渡り鳥ライン、どうやら2019年12月で運行が休止された模様。

あの時に乗ることができて良かったです。

コペンハーゲンといえばアンデルセン童話の人魚姫の像がありました。想像より小さくで拍子抜けしたことも覚えています。

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人魚姫の像

ブレーメン近郊へのバス旅行

語学学校のアクティビティで遠足がありました。

ブレーメン近郊にバスに乗り、「芸術家の村」と「干潟の海」に行ったことをうっすら覚えています。

今回調べてみたら、どうやら、

・芸術家の村というのは「ヴォルプスヴェーデ」

www.tripadvisor.jp

・「干潟の海」というのは「ワッデン海(ヴァッデン海)」

skyticket.jp

のようです。

どちらもアクセスはあまり良くないため、長期滞在でないと行く気になれない場所。

ブレーメンで語学学校に通っていたからこそ観光できた場所でした。

 

パリのベルサイユ宮殿で声をかけられる

語学研修を終えた後には自由行動でパリに向かいました。パリではとにかくメインの観光スポットを訪れました。シャンゼリゼ通り、ルーブル美術館・・・パリの三越では母親へのお土産にエルメスのスカーフを買いました。

当時、パリやミラノの目抜き通り(ブランド通り)を歩くと、知り合いに出会うと言われていました。夏休みや春休みと行った学生の旅行シーズンに、人気観光地に行くと誰かしらに出会う、と。今はコロナ禍なので旅行自体がなかなかできないのですが、昨今はどうなのでしょう?

シャンゼリゼ通りは通っただけなので、特に何もなかったのですが、ベルサイユ宮殿のお庭を歩いていると

「izmyさんですよね?体育の授業で一緒になったことがある◯◯です」と声をかけられてビックリしました。顔を覚えるのが苦手なので、私にとっては失礼ながらお会いしたことがあるような、ないような・・・?な認識程度の人だったのですが、まさかこんなところで声をかけられるとは。

 

・・・そんなこんなで、「次は留学したいな」と無謀にも淡い希望を持つようになりました。

エピソード0はここまで。次は1996年に飛びます。続く。

 

クラファン実践は大きな学び〜大学チャプター勉強会に参加して

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バーゼル大聖堂展望台からの眺め

「百聞百見は一験に如かず」(松下幸之助氏の言葉)

「学問なき経験は経験なき学問に勝る」(イギリスのことわざ)

バーゼル大聖堂の展望台へは木製の狭い階段を上るしかなく高所恐怖症で足がすくみましたが眺望は最高でした」(izmyの言葉)

 

3つを並べるなんてと自分でも思っております・・・

 

大学チャプター勉強会で、クラウドファンディングをテーマにした勉強会が6月29日に開催されました。大学チャプター勉強会としてはこれが2回目です。

1回目の様子はこちら↓

izmy2009.hatenablog.com

 

2年ぶり2回目となる今回のトピックは「もっと知りたい!学術クラウドファンディング ~ファンドレイザーやることリスト全公開~」。モデレーターの高橋麻子さん(東京大学ファンドレイザー)とスピーカーの小出静代さん(徳島大学URA)による、「実際のところ、学術クラファンやるとしたらどうなの?」という疑問に応える盛り沢山な内容となりました。

私自身は別件と重なってしまい後半からしか参加ができなかったのですが、特にOtsucle(一般社団法人大学支援機構が運営するサイト)のクラウドファンディングのプロジェクトをいくつも手がけている小出さんの、実際のデータを元にした資料は圧巻でした。

otsucle.jp

クラウドファンディングのサイトを立ち上げただけでは寄付金は集まりません。寄付金は"集める"のです。」という半ば当然かなと個人的には思っていることについて「サイトを作ったので、自分から寄付の呼びかけをするのはちょっと・・・」と抵抗感を示す方がいる、という現実。

ここには寄付について「施しを乞う」「施しを受ける」といった意識が根強く残っているからなのかな・・・と考えています。

寄付をいただくのは「社会課題へのチャレンジに応援してもらう」こと。寄付する側も、寄付される側も、この寄付意識へのブレイクスルーが大事なんんだなと改めて。

 

そんなしたり顔で書いている私自身も、数年前に「お金をくださいって言えますか?」というファンドレイジングのセッションタイトルを見たとき、「・・・言えないようなぁ」と考えていました。

 

クラファン自体を実践したことがないため、「実践した人にしか見えない景色がある、得られない知見がある」と勉強会の感想を持ちました。

 

そんな私ですが、クラファンを実践する機会が訪れました!

バックオフィス支援で関わっているNPO法人サンカクシャで、文京区拠点の移転を機に、居場所機能の拡大と運営継続のためにクラウドファンディングを10月1日から実施します!

サイトつくりから学びばかりを得られる日々。詳細は後日お知らせします。

勉強会の内容について実践を通じてさらに学びを深められる喜び。

ブログを通じてお伝えしていけたら。ぜひご期待ください!

あの日のドイツ留学記〜エピソード0その1

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注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

1996年から97年にかけての一年間、ドイツに留学していました。

つい先日、現役大学生に留学のことを話す機会があり、当時のことをあれやこれやと思い出していたら、どちらかと言えば暗い記憶が蘇ってきてしまい、眠れなくなってしまいました。

だったらいっそのこと書き出してしまおう。

今回は、序章として、留学前、93年夏のBremenでの短期語学研修について。

初めての海外旅行

92年に大学に留学してインテンシブコースでドイツ語を履修して約1年半。大学2年生の夏休みに大学からの紹介で友人と一緒にドイツへ短期語学研修に申し込みました。

海外旅行が未経験で、研修の場所をブレーメンに決めたのは友人任せ。目的は週末と研修後1週間の自由行動、つまり「観光」。アルバイトを掛け持ちして旅行費を貯めました。

カルチャーショック

語学研修中はホームステイ。ドイツ人の女性と中国人の男性が同居している家の一室で生活をしました。初めて洗濯機を見たとき、日本の洗濯機のイメージで「スイッチ入れて洗いを選べばなんとかなるだろう」というイメージが大きく崩れました。当時の日本では見慣れないドラム式。ONとOFFのスイッチらしきものはあるものの、回転式のスイッチに買いてある文字がわからない(後から細かく設定されたコースだと知った)。洗濯機の前でぼぉーっと突っ立っている私に、ホストが「一緒に洗いましょうか」と言ってくれました。

窓のブラインドを上げっぱなしもカルチャーショックでした。向かいの家の様子が丸見え。私は気になってずっと下げていたら、ホストから「ブラインドは下げっぱなしなの?」と聞かれました。文章の理解を超えて「なぜその質問をされているのか」がわからず、戸惑っている私に"Egal.(どっちでも良いのよ)"と。私はさらに「どうでも良いことをなぜわざわざ聞いてきたのだろう」と混乱したのでした。

全く話せなかった語学研修

ブレーメンでは平日語学学校に通いました。「実践的なドイツ語」を授業で習っていて、多少は話せるだろう、と授業に臨みましたが、全く話せませんでした。まず教えている先生のドイツ語がわからない。わかったとしても、答えがわからない。ほとんど発言することなく授業がすぎていきました。

ある日の授業では、「ブレーメンの音楽隊」が題材。ブレーメンに行って音楽隊に入ろうとロバが道中で犬・猫・鶏を誘い、森の中で泥棒たちが宴会をしている家を見つけ、一斉に大声で鳴いて泥棒たちを追い出した、という有名な童話です。授業で先生が「猫はなんと鳴きましたか?」と私に聞いてきました。ブレーメンの音楽隊の物語をすっかり忘れていた私は「猫が"どんな楽器"を鳴らしたのか」と勘違いし、「わかりません」と答えました。先生はさぞかし驚いたのでしょう。授業は他の受講生が「ニャー」と鳴いてその場は収まりましたが(そこで聞かれたのが鳴き声だったとようやく気づいた有り様)、授業後に先生に呼ばれました。

「izmy、授業は難しいですか?」「難しいし、質問がわかってもなんと答えて良いのかわからないです」と。

皆が楽しそうに授業を受けている中、私の顔はどんどん暗くなってしまいました。

盗難被害にあったイタリア人の友人

授業は全く面白くありませんでしたが、語学学校ではアクティビティをいくつか用意していて、次第にクラスメイトと打ち解けていきました。

特に仲良くなったのがイタリア人の女性。強いイタリア語訛りのドイツ語で、いつも"Ciao!"と声をかけてくれました。

語学研修が終わり、ブレーメンを離れる前日。「どうしても会いたい」と言われ、指定されたレストランに向かいました。「実は盗難に遭って・・・今パスポートもないの」とのこと。パスポート再発行のために撮ったという証明写真を見せてきました。めっちゃ暗い顔・・・!!「私にできることはないけど、元気でね」としか声をかけられず、ハグして別れました。

長くなったので、続きは、また。

ネコ治療薬研究への寄付がクローズアップされた3つの理由

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大学関連のファンドレイジングのニュースが入ると書かずにはいられない、謎の使命感に燃えるizmyです。

約半年前の学生食堂山食クラファン(お時間あればこちら↓も読んでください!)以来の、私的ビッグニュース。

izmy2009.hatenablog.com

 

 

7月11日から16日にかけて、東京大学の宮崎教授らが進めている猫の腎臓病の治療薬開発の研究がクローズアップされ、東京大学への寄付が殺到したことがニュースとなりました。

SNSを中心に話題となったニュース

発端は時事通信のインタビュー記事。

7月11日付で「『ネコの宿命』腎臓病の治療法を開発 寿命が2倍、最長30年にも 東大大学院・宮崎徹教授インタビュー」が配信されると、SNSを中心に話題となり、東京大学への問い合わせが増えました。

www.jiji.com

寄付が集まり出したところにメディアが後追い記事を出します。

朝日新聞デジタル東大ネコ研究に2日余りで寄付3千万円 担当者「驚き」

・読売新聞オンライン:飼い猫の腎臓病の治療薬開発、東大に「深い愛情」で寄付殺到…5日間で7400万円

時事通信ネコ治療薬研究に多額の寄付 加藤官房長官「着実な進展期待」

Yahoo!ニュースに掲載され、注目に拍車がかかりました。

 

官房長官の定例会見では寄付文化について言及

さらに、16日には加藤官房長官の定例記者会見で取り上げられました。

・大学における研究に対し、その趣旨に賛同して短期間で多額の寄付が集まったことは大変喜ばしい。

・他方で、日本の大学の収入における企業や個人からの寄付の占める割合は、欧米に比べて低い。

・政府としてはより多くの寄付を促すため、国公立大学法人に対する修学支援、若手研究者支援のための寄付の税額控除の導入、私立大学が行う受託研究にかかるる企業の法人税の非課税措置の拡充などの税制改革にも取り組む。

・今回の研究が着実に進展することを期待するとともに、引き続き寄付文化が広がるよう取り組みを進めていきたい。

www.jiji.com

 

このようにクローズアップされた理由を3つ挙げます。

理由その1:愛猫家の情状的共感が喚起された

一般社団法人ペットフード協会が2020年12月に発表した「2020年(令和2年)全国犬猫飼育実態調査」によると、全国の猫の推計飼育頭数は約960万頭。

犬と並んで身近なペットである猫。猫の平均寿命は15.45歳で、猫を飼ったことのある人は、病気になった猫を看病し、そして猫を看取った経験がある人も多くいることが伺えます。猫の多くが高齢になると腎臓病を発症。そして、腎臓の機能は一度失われると回復せず、長く苦しむネコも少なくないそうです。

愛猫家の心を痛める問題への取り組み、そしてインタビューにある資金確保に向けて奔走している、という内容が、愛猫家のハートに火を点けました

実は、ある会社がスポンサーになってくれて、治験薬を作り国から薬としての承認を受ける治験を行うめどが立つところまでは、数年かけていっていました。ところが、新型コロナウイルスのせいで社会全体が経済的な打撃を受けたことで、プロジェクトはいったん中断しています。

(引用元:https://www.jiji.com/jc/article?k=2021070800906&g=soc

 

他国の事例ですが、 英国の寄付に関する調査によると、社会課題別の寄付の割合では、「Animal Welfare (動物福祉)」と「 Medical Research(医学研究)」は常に上位にあります。言い換えれば「寄付が集まりやすい人気の社会課題」です。今回の事例では、この2つの組み合わせによる相乗効果があったのではと推察されます。

 

理由その2:SNSで拡散された

7月16日にTwitterで配信された朝日新聞の記事は7月19日現在1.5万リツイート、著名人からの研究に期待を寄せるコメントが7月19日現在2.2万リツイートなど、東京大学のニュースはSNSで拡散されました。

寄付の仕方を画像つきでお知らせする人、他の人のツイートを読んで寄付をしましたという人など、キーワード検索をすると研究に対する期待の高さと寄付への熱量を感じました。

 

Twitterまとめサイトtogetter

togetter.com

 

 ・宮崎教授の新刊を購入すると売上の一部を東京大学に寄付することを表明する仮想店舗

 

・動画収益を東京大学に寄付すると表明するYouTube動画 


www.youtube.com

 

 

理由その3:東京大学で迅速な受け入れがあった

 東京大学基金では、当初、宮崎教授らの研究への専用寄付フォームはありませんでした。

7月11日にニュースが配信され話題となった翌12日には、専用申し込みフォームを作成。

さらに7月15日には宮崎教授からのメッセージを掲載しました。

utf.u-tokyo.ac.jp

 

申し込みフォームだけでなく、TwitterFacebookへのシェア用ボタンが設置され、SNSへのシェアがしやすいように配慮がされています。応援コメントを読むと寄付の気持ちを後押しされます。

東京大学の迅速な対応が話題に拍車をかけ、より多くの人の関心を集めたのではないでしょうか。 

 

今回の寄付事例、何ヶ月か後には大学チャプターの勉強会で振り返りをお聞きしたいです。