あの日のドイツ留学記〜エピソード2クリスマスにきよしこの夜

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オスナブリュック大学

注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

izmy2009.hatenablog.com

続きです。

 

ロータリー財団ホストに英語で話しかけられる

フランクフルトから列車に揺られること数時間、オスナブリュック駅に到着。ロータリー財団のお世話係の家族の家でホームステイをさせてもらうことになり、ホストファミリーのお母さんが車で迎えに来てくれました。

道中、なぜか英語で話しかけられ続け・・・ドイツ語が苦手だけど英語はもっと苦手、なぜドイツに来てまで英語を話さなくてはならないのか・・・と思い、「ドイツ語で話していただけますか?」と伝えました。

お母さんは「あなた、ドイツ語が話せるのね」といたく感激している様子、「ドイツ語が話せるのでなくて英語が話せない!」と複雑な気持ちで接していました。

夕食タイム。「さあ、召し上がれ!」と豪華な夕食が・・・

出るわけではなく、パンとハムとチーズが。

その時にはまだ知りませんでした。

ドイツでは、カルテス・エッセン=冷たい食事、つまり火を使わない食事を夕食としているのが一般的なことを。

戸惑いしかなかったです。日本にいるときに夕食をパンだけで済ませたのって、食費を削る時しかなかったから。

そんな初日でしたが、このお宅には学生寮に入るまでの間、数週間、お世話になりました。

 

大学で友人にばったり出会う

行ったばかりのエピソードとして強烈だったのが、学生保険の手続きに行った時のこと。お母さんと2人で行き、書類の内容がチンプンカンプンな中、「ここにサイン」と言われるがままにサインしたりしていると

「izmyさん!」

と日本語で呼びかけられました。

え、この聞き慣れた声は・・・

大学時代の同級生のY君がニコニコしながらやって来ました。

Y君、大学を卒業して上野のヨドバシカメラでバイトを始めたところに冷やかしに行ったくらい、まあまあ仲良しでした。が、ドイツに留学するとは知りませんでした。ましてや同じ大学!?

日本ではおそらくあまり知られていないオスナブリュック大学、日本からの留学生は4人だけでした。うち、2人は哲学を専攻している大学院生同士のご夫婦。あと、Y君と、私。

Y君には、確か、オスナブリュック大学に留学することを伝えていたんだと思います。でも私は知らなかった。

「え、どこの寮?」と連絡先を交換して、その日は別れました。

 

クリスマスにきよしこの夜

大学には短期留学生として登録したものの、授業についていける語学力は相変わらずないため、オスナブリュックでも語学学校に通っていました。

午前中に語学学校、午後はいくつか履修した授業に出席。そして図書館で文献探し。

語学学校は中級クラス。駅前のバス停からバスに揺られて20分くらいかけて通っていました。このクラスで日本人は私だけ。アジア系は誰もおらず、東欧とロシアの生徒が多くいました。先生は2人。うち1人の先生は中国語を趣味で勉強しているということで、授業以外でも話しかけてきてくれて、家に招いてくれたことがありました。

この年のドイツは「30年ぶりの大寒波」と言われ、日本で経験したことのないような寒さでした。

日本で買った安物の靴は石畳で底が擦り切れ、これでは冬は越せない・・・と靴屋さんへ。

日本の靴のサイズでは22cm、ヨーロッパサイズでは33(確か)。大人の靴のコーナーには売っていませんでした。

仕方ない・・・

キッズコーナーへ行ってブーツを一足購入。

デパートで靴下を探した時には「参考年齢:7-8歳」と書かれていて、思わず店員さんに声をかけて聞いてしまいました。

「あくまで参考だから」と店員さん・・・

ブーツを購入、セーターもプルオーバーもOK。本格的な冬の前に日本から冬服が到着しました。

クリスマスの前、年内最後の授業の日。

その日は朝から大雪でした。「でも授業だしな・・・」と語学学校に向かうと。

真面目に授業に現れたのは2人だけ。「授業はなしね」となり、クリスマスの話題に。

クリスマスの歌は何かあるか、と聞かれ、「きよしこの夜」なら、日本語でだけど、と言うと。「歌って」

「き〜よ〜し〜♪」と歌いました。

もう1人の生徒もクリスマスの歌を歌い、その日の授業(?)は終了。

 

まだ続きます。