あの日のドイツ留学記〜エピソード1フランクフルトとローレライ

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 私が四半世紀前の記憶を辿ってブログを書いているというと、お友だちから一言「現実逃避だね・・・」・・・はい。

 

注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

96年に大学を卒業して大学院に進学し、夏からドイツへ留学することになりました。

ロータリー財団の奨学金を受けられることになったのです。ただし「大学に入る前にフランクフルトの語学研修を受けること」の条件付きで。

相変わらず語学力が足りないまま、フランクフルトでの生活が始まりました。

語学漬けの日々

フランクフルトではホームステイ先から「ゲーテ・インスティトゥートGoethe-Institut、ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関)」でドイツ語を勉強する日々が始まりました。

www.goethe.de

クラスの半数は日本人で、アメリカ人・イタリア人がちらほら。全員、ロータリー財団の奨学生。専門は、音楽、ドイツ文学の人が大半だったと記憶しています。

初級クラスに在籍し、午前中は授業。午後はフリータイムでしたが、宿題が多く、ランチを食べたら部屋に戻ってドイツ語を勉強する日々でした。

「私たちはドイツ語を勉強しに来たのよ。日本語禁止!」とストイックなクラスメイトがいたお陰で、全員日本人の時でも片言のドイツ語で会話していました。

気楽な一人部屋

滞在先は、アパートの地下の一室。ホストの女性は別の階に住居があったので、時折、掃除の人が訪れる程度。気楽な一人暮らし状態でした。

一度、クラスメイトがホームステイ先でトラブルになり、「ホストに会いたくない」と悩んでいたので、「うち、来る?」と泊めたことがありました。

半地下のため陽の光が入りますし、語学学校まで歩いて10分程度。住環境には恵まれました。

ライン川下りでローレライの歌を熱唱

フランクフルトでは観光がほとんどできませんでしたが、語学学校のアクティビティでライン川下りに行きました。

バスで船着場まで行き、フェリーに乗り込みます。ライン川ののんびりした流れは心地良く、フェリーではコーヒーを飲んだりして過ごしていました。

クラスメイトに声楽が専門の子がいました。

ローレライライン川にある、水面から130mほど突き出た岩山のこと。水難事故が多かったことから、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」というローレライ伝説が生まれた、らしい。

そのローレライに近づくと、ローレライの歌のメロディが流れてきました。

「歌うのよ!」とストイックなクラスメイトに急かされ、楽譜を見ながらドイツ語の歌をみんなで歌ったのでした。

他の乗客からは好奇の目で見られていたに違いない・・・

急速に近づく冬とヘルペス

語学学校に入ったのは夏、のはずだったのに・・・フランクフルトは急に寒くなってきました。まだ9月なのに!夏服では寒くて仕方がないため、デパートで洋服を探すことに。

タートルネックのセーターとプルオーバーを購入。

天気も曇りが多く、鬱々とした日々でした。

そんなある日、唇に異変が。ピリピリ痛むのです。

「ひょっとして口唇ヘルペス・・・」嫌な予感が当たりました。

薬局に行って唇を見せて、塗り薬をもらいました。

弱目に祟り目。唇が治らないまま、語学研修を終えて留学先に向かうことに。

それぞれの留学先へ

1ヶ月の語学研修が終わると、いよいよ各地に分かれて留学することに。

留学地は、ベルリン・ケルン・ブレーメン・・・と、主に西ドイツに行く人が多かったように記憶しています。

私が向かうのはオスナブリュック。北ドイツのニーダーザクセン州にある中規模の街で、フランクフルトからは列車で3時間程度。

イヤホンでMr.Childrenのアルバムを繰り返し聴いていたので、列車からのライン川の眺めと「【es】 〜Theme of es〜」をセットで思い出します。

せっかく仲良くなった友だちともお別れ。感傷的になりながら、オスナブリュックへ一人向かいました。

続きは、また。