あの日のドイツ留学記〜エピソード0その1

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注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。

 

1996年から97年にかけての一年間、ドイツに留学していました。

つい先日、現役大学生に留学のことを話す機会があり、当時のことをあれやこれやと思い出していたら、どちらかと言えば暗い記憶が蘇ってきてしまい、眠れなくなってしまいました。

だったらいっそのこと書き出してしまおう。

今回は、序章として、留学前、93年夏のBremenでの短期語学研修について。

初めての海外旅行

92年に大学に留学してインテンシブコースでドイツ語を履修して約1年半。大学2年生の夏休みに大学からの紹介で友人と一緒にドイツへ短期語学研修に申し込みました。

海外旅行が未経験で、研修の場所をブレーメンに決めたのは友人任せ。目的は週末と研修後1週間の自由行動、つまり「観光」。アルバイトを掛け持ちして旅行費を貯めました。

カルチャーショック

語学研修中はホームステイ。ドイツ人の女性と中国人の男性が同居している家の一室で生活をしました。初めて洗濯機を見たとき、日本の洗濯機のイメージで「スイッチ入れて洗いを選べばなんとかなるだろう」というイメージが大きく崩れました。当時の日本では見慣れないドラム式。ONとOFFのスイッチらしきものはあるものの、回転式のスイッチに買いてある文字がわからない(後から細かく設定されたコースだと知った)。洗濯機の前でぼぉーっと突っ立っている私に、ホストが「一緒に洗いましょうか」と言ってくれました。

窓のブラインドを上げっぱなしもカルチャーショックでした。向かいの家の様子が丸見え。私は気になってずっと下げていたら、ホストから「ブラインドは下げっぱなしなの?」と聞かれました。文章の理解を超えて「なぜその質問をされているのか」がわからず、戸惑っている私に"Egal.(どっちでも良いのよ)"と。私はさらに「どうでも良いことをなぜわざわざ聞いてきたのだろう」と混乱したのでした。

全く話せなかった語学研修

ブレーメンでは平日語学学校に通いました。「実践的なドイツ語」を授業で習っていて、多少は話せるだろう、と授業に臨みましたが、全く話せませんでした。まず教えている先生のドイツ語がわからない。わかったとしても、答えがわからない。ほとんど発言することなく授業がすぎていきました。

ある日の授業では、「ブレーメンの音楽隊」が題材。ブレーメンに行って音楽隊に入ろうとロバが道中で犬・猫・鶏を誘い、森の中で泥棒たちが宴会をしている家を見つけ、一斉に大声で鳴いて泥棒たちを追い出した、という有名な童話です。授業で先生が「猫はなんと鳴きましたか?」と私に聞いてきました。ブレーメンの音楽隊の物語をすっかり忘れていた私は「猫が"どんな楽器"を鳴らしたのか」と勘違いし、「わかりません」と答えました。先生はさぞかし驚いたのでしょう。授業は他の受講生が「ニャー」と鳴いてその場は収まりましたが(そこで聞かれたのが鳴き声だったとようやく気づいた有り様)、授業後に先生に呼ばれました。

「izmy、授業は難しいですか?」「難しいし、質問がわかってもなんと答えて良いのかわからないです」と。

皆が楽しそうに授業を受けている中、私の顔はどんどん暗くなってしまいました。

盗難被害にあったイタリア人の友人

授業は全く面白くありませんでしたが、語学学校ではアクティビティをいくつか用意していて、次第にクラスメイトと打ち解けていきました。

特に仲良くなったのがイタリア人の女性。強いイタリア語訛りのドイツ語で、いつも"Ciao!"と声をかけてくれました。

語学研修が終わり、ブレーメンを離れる前日。「どうしても会いたい」と言われ、指定されたレストランに向かいました。「実は盗難に遭って・・・今パスポートもないの」とのこと。パスポート再発行のために撮ったという証明写真を見せてきました。めっちゃ暗い顔・・・!!「私にできることはないけど、元気でね」としか声をかけられず、ハグして別れました。

長くなったので、続きは、また。