あの日の旅行日記〜イタリア"貧乏"旅行(1)
留学の終わりが見えてきた1997年夏。
同じロータリー財団の奨学生でブレーメンに留学していたNちゃんとイタリアへ旅行へ行った。
留学の終わり=奨学金の終わり。
残金が心許なくなっている中、「できるだけ安くあげよう」と出発した。
1997年7月22日(火)
オスナブリュックからハノーファーとミュンヘンで列車を乗り継いで、ヴェネツィアへ。
ドイツでは学生だと列車が割引料金で乗れるため、これまでも何度か列車で旅をした。
12時間以上かかるが、これもヨーロッパの旅の醍醐味・・・と夜通しで列車に乗った。
1997年7月23日(水)
ヴェネツィアに到着。
まずはツーリストインフォメーションで今日の宿を探した。
予算は、観光も含めて、1日100マルク。イタリアの通貨はリラだが、この時はマルク建でいつも考えていた。日本円で7500円から8000円くらい。
なのに・・・予約できるホテルは最低80マルクから!?仕方ないと予約したが、今後の観光に早くも暗雲が立ち込めた。
[写真:水の都、ヴェネツィア]
[写真:サンマルコ広場]
天気が良く、暑かった。Tシャツに短パン、サンダルで歩いていた。
サンマルコ広場に着いた。多くの観光客で賑わっていた。
サンマルコ寺院があり、入場に行列ができていた。「短パンの人は入場お断り」とイラスト付きの看板があった。とりあえず並ぶか、と並んでいたが、入口で案の定"No!"と入場を断られてしまった。友人のみ入場して、私はしばらく外で待つことにした。
友人が出てきてから、広場近くのレストランで食事をすることにした。
サラダとドリンクを頼んで座っていたら、近くの観光客が「高い!」と騒ぎ始めた。??となっている私たちに、「このコーラだけで10ドルだよ!」とわざわざ知らせてくれた。え!?でももう注文しちゃったし・・・戸惑いながら食事をして会計になると、30マルク(2,300円くらい)はしたのではないかと思う。リラだけど。
ホテルと昼食で既に予算オーバー・・・と悲しい気持ちになった。
Nちゃんが言った。
「私、万能ナイフを持ってきたんだ。スーパーでパンとトマトを買ってきて、部屋で食べれば節約できるよ。」
そうだよね!それから、パンとトマトとスライスチーズを買ってきて、部屋で夕食と朝食を食べるのが日課となった。
続きます。
注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。