父と高校野球
父は、野球少年だった。中学・高校と野球部で汗を流した。
若い頃は、夜に小学校のグラウンドで野球を練習するために度々出かけていた。
野球観戦も好きで、テレビの野球中継はもちろん、野球場へも観戦に行っていた。
2014年に脳出血で倒れ、リハビリ施設で私が付き添った時、理学療法士さんから「スポーツは何かされとったんですか?」と聞かれ、「野球。うまぁもんやったよ。」と嬉しそうに答えていた。
この脳出血が原因で父は半身不随となり、寝たきり生活を余儀なくされた。
2018年夏。
私の応援している高校の野球部が久しぶりに甲子園へ出場することになった。
初戦。私は実家で父と野球観戦をした。
たまに帰省しても、ぼおっとする時間が長くなり、寝ていることも度々あったが、この日の父はしっかり起きていた。
試合でヒットが出れば「ほぉ」と言い、アウトになれば「ああ・・・」と言っていた。
応援しているチームが劇的なサヨナラ勝ちをすると、「すごぉなぁ」と漏らし、校歌を熱唱する私を見ながら笑った。
2回戦。私は自宅で観戦していた。
チームは序盤から大量得点を許し、苦しい試合展開となった。
9回裏、相手チームのピッチャーが疲れてきたのか、反撃に転じた。チームが追い風になり自宅の応援も白熱している最中、実家に帰省中の姉から電話がかかってきた。
父は救急搬送された。
危篤状態ではないと聞き、翌日、私は岐阜の病院へ向かった。
病室に向かうと、父は起きていた。
「なんや・・・」と目を丸くしていた。
「救急車で運ばれたと連絡が来たから、心配して来たんやよ」と告げると、「なんや、大げさな・・・お母さんは心配しすぎや」と言った。
「お父さん、野球、負けちゃったんだ。最初に点が取られてね・・・」などと話すと、父は苦笑していた。
話している間に、母と姉が病室に到着した。
改めて担当医と話すと、2人は別室に向かった。私は父の側にいた。
しばらく、高校野球の話をした。
それが父に会う最後となった。
母と姉は医師から父の余命宣告を受けた。
1ヶ月の間、父の様子が気がかりながらも、母の電話で徐々に衰弱している様子を聞くと、会いに行く勇気がどうしても出なかった。"最後に話をした"という記憶を残したかった。
電話で母は「その気持ち、良くわかるから無理せん方がいい。お父さんは十分すぎるほど頑張った。いい思い出のままでいることも大事。」と私を気遣ってくれた。
父は、1ヶ月後に旅立った。
今でもふとした瞬間に涙を流し、このブログを書きながら何回も涙で中断した。
でも、一つの区切りとして、書いておこうと思った。
悲しみは消えることはないが、癒すことはできる。
高校野球を観る度に、父の笑顔を思い出して語りかけようと思う。
北欧ひとり旅〜9日目(最終日)
2018年8月26日(日)
いよいよ、最終日。
朝食を食べて、お土産を買いに行った。
ホテルのある建物に入っているテナント、「ノルディス」。
ムーミン、フィンランド、北欧の雑貨がたくさん! | ノルディスヘルシンキ
20%割引クーポンを旅行会社からもらっていた。日曜日でデパートなどは12時からしかオープンしないので、ものは試しにと入ってみた。
表に「ノルディス」とカタカナで書いてあり、半信半疑で入ったが、意外と良かった。先日行ったヘルシンキのムーミンショップよりよっぽど多くのムーミングッズがあった。お洒落な布製品もある。お菓子などお土産をまとめて購入した(家に帰ってから小分け袋が多く入っていた、こういう心遣いも嬉しい)。
部屋に戻りお土産もスーツケースに入れて、チェックアウト。
夕方のフライトまでは時間があったので、ホテルに荷物を預け、ヘルシンキ自然史博物館へ。
大好きな映画「ナイト・ミュージアム」を観て以来、剥製の多い博物館は「ナイト・ミュージアムだ・・・」と妄想してしまう。
それほど広くない博物館の中は剥製がいっぱい。恐竜も。天井にも展示があったりと、なかなか楽しかった。60倍に拡大された蚊の模型はちょっと・・・という思いになったが。
もう少し時間があったので、マーケット市場に行ってみた。相変わらず、多くの観光客で賑わっていた。
マーケット市場の近くには赤レンガの教会が見える。ロシア正教のウスペンスキー寺院だ。丘の上にあり、上ってみると中に入るための行列ができていた。
中を見るのは諦め、近くをぶらぶらしていると、赤レンガの建物が並ぶハーバーが見えて来た。
少し行っただけで景色が随分と変わる。もっといられたら、もっと色んなものが見学できたな・・・と感傷的になった。
お昼になったので、最後に何を食べようかな・・・とぶらぶら。
Kamppiショッピングセンター内で簡単に食べられるものを探した。"Beijing 8"という、中華料理のお店だが、アジア系の店員がいない。
カウンターで注文するスタイル。英語のメニューを見て悩んでいると、店員さんが「僕はこれがお勧め」と親切に教えてくれた。
で、食べたのが9種の餃子と春雨サラダ。
焼き餃子が蒸籠に入っている。パクっ。スパイシー!?
餃子だけど餃子じゃない。ソーセージを食べているかのよう。
同じ挽肉料理でも、中国では餃子になり、フィンランドではソーセージのようになる。面白いな・・・と思いながら、最後は(お勧めされていない)醤油と黒酢で食べた。
お腹がいっぱいになり、少し早いが空港に向かうことにした。
ヘルシンキ中央駅脇から、空港行きのバスが出ていた。
クーポン券を渡して、空港へ。
空港への道すがら、湖が見えてきた。
湖と森の国、フィンランド。
楽しかった日々はあっと言う間にすぎてしまった。
次はどの国に行こうかな・・・
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北欧ひとり旅〜8日目(2)
ポルヴォーに行こうと思い立った。
ヘルシンキからバスで1時間ほど。17時に出発すれば到着が18時。2時間観光して20時半に出れば21時半に戻って来られる。よし。
バスはネットで予約。iPhoneでさくさくと予約できる。めちゃくちゃ便利。
セウラサーリ島から帰るバスを待つ間に予約し、Kamppiへ。
18時だと主要な観光施設は閉まっているが、時間が余れば夕食食べればいいや、と考えた。
ポルヴォーはハメーンリンナと同じくらい、いや、もっとコンパクトな街だった。
バスターミナルから湾まで歩いて5分。観光スポットとされる木造の建物。以上。
博物館やお店が閉まっていて、どこも入れなかったのも残念だった。
さらに、到着した時から治安が良くないなぁと感じた。大声で騒いだり喧嘩を始める若者を見かけたから。
これは思った以上に時間が余りそうだ・・・と心配になった。
橋を渡り、先ほど対岸から写真を撮った赤茶色の建物の多くはレストランになっている模様。食事を楽しむ人の姿が見えた。
ちょっと早めの夕食をとることに。テラス席に座った。
湾沿いのレストランで食事。フィンランドは日本のように水が出るので、飲み物を頼まなくても済むのがありがたい。
ゆっくりゆっくり味わって食べた。この時点で19時。帰りのバス、もっと早めれば良かったなぁと後悔。変更できないか調べたら「キャンセル、変更不可」とのこと。
もう一度バスターミナルまで戻って来た。
待合室は閉まっていた。座って待てる場所がない。そして雰囲気がいまいち。なんとかせねば!
またあてもなく歩き、旧市街の丘の上、教会まで向かったりした。
教会に向かう途中で、スーパー前にたむろしている若者グループ。なんだかなぁ。
昼間に来ていれば、印象が違ったかもしれないが。
何とか時間を潰し、20時すぎにバスターミナルに戻った。
バスターミナルの電光掲示板では乗り場の案内が出ていた。
が、1番、2番といった数字ではなく、"piispankatu"文字が表示されている。
何だ?googleで引いてみたら「司教の通り」と出て、ますます??状態。
通りの名前、と気づくのに時間がかかった。
バスターミナルのロータリー外で待っている人が10人くらいいた。
聞いちゃおう、と近くの人に声をかけた。
「ここはOnnnibusのバス停ですか?」「そうよ」良かった、聞いて安心。
バスは発車予定時刻より10分ほど遅れて来た。良かった、さっき聞いておいて・・・
時刻は20時45分。あたりは薄暗くなってきた。
バスから夕焼けが見えた。まだまだ日が長い。
いよいよ明日は帰る日。あっという間の滞在だった。
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北欧ひとり旅〜8日目(1)
2018年8月25日(土)
起きて時計を見たら9時30分をすぎていた。そんなに!?
朝食の時間がなくなってしまったかと確認したら、土日は10時半までオープンしているという。着替えて朝食を食べた。
昨日のエストニア旅行はさすがにハードだった。ちなみに本当は、サンクトペテルブルクに小旅行に行こうか迷った時期もあるが(朝5時に出発して22時に帰ってくる日帰り旅行)、諸般の事情で断念。今思えば、血迷わなくて良かった。
午前中は部屋ですごし、午後から出かける事にした。
最初に出かけたのは、一昨日途中下車した、Hop on Hop offバスの続き。ヘルシンキカード72時間を購入しているので、まだ乗ることができた。
ホテル近くのバス停から乗り、シベリウス公園へ。
フィンランドを代表する作曲家シベリウスのモニュメントがあるということだったが・・・
自分がバスから降りると、ツアーバスが到着して多くの観光客が降りてきて、辺りが賑やかになった。モニュメントを撮影するために人だかりができてしまった。
落ち着かないなぁ・・・と公園を散策。
湖近くのカフェでは音楽が流れていて、騒々しい。
うーん・・・とまたモニュメントに戻ったら、また別の観光客のグループが写真を撮っては大きな声で話をしている。
うーん・・・撮影は諦めて別の場所に行くことに。
先ほど、バスを乗っている時に24番バスを見かけた。24番バスの終点にはセウラサーリ野外博物館があるって書いてあったっけ。
終点だからわかりやすい。近くにバス停があり、15分くらい待っているとバスが来た。
バスに乗っている人はあまりいなかった。これは良さそう!
郊外のため観光客はグッと減った。
「野外博物館」となっているが、入場料を払わなくても島には入ることができる(展示エリアには入れないようになっている)。ジョギングしたり、犬の散歩をしている人もいた。
天気は薄曇り。少し肌寒いが、歩いていれば気にならない。
時折、人とすれ違う程度。島を囲む湖は静か。倒木もそのまま。静か、静か。
来て良かった、と満足度高し。
時間は16時すぎ。
もう一つくらいいけるな、と、バスで1時間の港町、ポルヴォーへ行くことにした。
続きます。
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北欧ひとり旅〜7日目
2018年8月24日(金)
早朝から対岸の国、エストニアの首都タリンへ。
2時間、船に揺られ、9時半頃に到着した。
ターミナルから旧市街までは徒歩20分。
旧市街の入口、"ふとっちょマルガリータ"と門が見えてきた。
船に降りたときから感じていたが、多くの観光客が訪れていた。
特にガイドツアーが多いようだ。英語、ドイツ語、イタリア語・・・ガイドが旗を持ってなにやら説明をしている姿を頻繁に見かけた。
まず向かったのは、旧市庁舎のあるラエコヤ広場、のはずが・・・
道沿いに立つ「KGB PRISON Cells」の看板。エストニアは長らくソ連の一共和国となっていた。思わず階段を降りると、地下にあった拘置所が・・・
暗くて狭い独房があり、壁にはエストニアの歴史が。1991年に独立運動とある。1991年は自分は高校生ではないか。ベルリンの壁が崩壊したのも高校生。当時は全く意識していなかったが、90年前後に東欧は大きく動いたのだった。
・・・などといきなり心にズシーンとくる展示を見てしまい、これが結構響いた。
街中には観光バスが走っていたが、乗る気になれず、歩いて回った。
次にエストニア歴史博物館、という、これまたあまり明るい気分にはなれない展示を見てしまった。
旧市庁舎には塔に登るつもりで向かっていたのだが、この日はクローズとのこと。
何箇所か展望台があるので、坂を上がることにした。
坂は石畳、足に来るなあ、と思いながら登った。
そのうちの一つ、ネイツィトルンに到着。入場料を払うと、バルコニーを歩けたり、隣のキーク・イン・デ・キョクという博物館を見学できる。ネイツィトルン自体は見晴らしの良いカフェになっていた。
キーク・イン・デ・キョクは丸い塔になっていて、階段がものすごく狭い。
ふうふう言いながら登っていった。
一番上の階からは眺めがよく、赤茶色でとんがっている旧市街の建物がよく見えた。
この日は天気がよく、気温は26度ほど。
連日肌寒かったので、この日も長袖にショールと着込んでしまったものだから、脱いでも暑くて仕方ない。
景色の良さよりも自分の暑さが不快で、服装に失敗したな・・・と反省しきり。
気分を変えようと野外博物館へ行ってみる事に。
バスは中央駅前から出ているという。坂を下りて駅に向かう途中、石壁に飾られている人物に目が止まった。エリツィンさんではないか!
中央駅では「サンクトペテルブルク行き」「モスクワ行き」の文字が。
エストニアの国際列車は、ロシアにしか繋がっていないのだ。
ソ連、ロシア、独立・・・と観光気分から離れていく自分がいた。
いやいや、観光!と野外博物館へ。
広大な敷地。日差しが強い。風が吹かない。暑い・・・
2時間くらいかけて回ったが、だんだん足が重くなってきた。
まだ時間が余っているなぁと思いながら、再び旧市街へ。入ったカフェには空調が無く、コーヒーを飲んだらまた暑くなってしまった。お土産屋を覗いてみたものの、うーん、なかなかこれはというのに出会えなかった。暑かったこともありニットを買う気にもなれず。
旧市街地を出てフェリー乗り場に向かって歩いていたら、いきなりおしゃれな地区に入った。ロッテルマン地区だ。
さっきコーヒーを飲んでしまったのが恨めしい。ここで休憩すれば良かった・・・
と後ろ髪ひかれる思いで、フェリー乗り場へ。
時刻は18時前。ヘルシンキ行きは19時半。
フェリー乗り場で歩数計を確認したら28000歩。いやー歩いた、疲れた訳だ!
再び2時間、船に乗り、22時すぎにホテルに戻った。
【旅行のスケジュールは地球の歩き方「旅スケ」で公開!】
北欧ひとり旅〜6日目
2018年8月23日(木)
ヘルシンキの朝。
朝食を済ませて、まずはマーケット広場へ向かった。
ヘルシンキでの観光についてあまり考えていなかったので、まずはヘルシンキカードを買った。
公共交通にも使えるため、トラムで翌日のターミナルの下見へ。
明日はエストニアのタリンに早朝に出発するため、その行き方を確認した。
ヘルシンキカードを買うと、「こんな観光に使えます」というガイドブックを受け取る。トラムに乗りながらパラパラと眺めた。
「そうだ、スオメンリンナの要塞を見に行こう」と思い立った。
そういえば、少しフィンランド語が分かってきて、「スオミ」はフィンランド、「リンナ」は城。なので、昨日訪れたハメーンリンナは「ハメ城」、スオメンリンナは「フィンランド城」を意味する。あーなるほど。
もう一つのそういえば。フィンランドの公用語はフィンランド語とスウェーデン語につき、至る所で2つの言語を目にする。フィンランド語はさっぱり分からないが、スウェーデン語はドイツ語に似ているので、(話せないけど)意味がなんとなく分かる。英語が通じるので大きく困ることはないけれども。
スオメンリンナ行きのフェリーはマーケット広場の近くから出ている。15分程度、船に揺られて到着。
日本語のパンフレットがあり、なおかつメインストリートは至る所に行き先の表示があり、分かりやすい。最初は一番奥のキングスゲートまでは行けないかな・・・と思ったが、案内にしたがって歩いていたら着いた。
海沿いに岩の壁が続いている。大砲も置かれていた。
確かにフィンランドを守るための拠点だったことが窺える。
今日の天気は、曇ると肌寒く、太陽が顔を覗くと途端に暑くなる。ダウンベストとショールを着たり巻いたりまた外したり・・・と忙しい。
帰りにスオメンリンナ博物館に寄って、映画を観た。ここでも日本語ガイドがあるのは良いが・・・日本語のイントネーションが何だか変・・・日本語に堪能な外国人かもしれない。
少し遅い昼食を食べ、再びフェリーで戻った。
さて、何しよう・・
市内観光バス(Hop on Hop offバス)に乗り、石でできたユニークな教会「テンペリアウキオ教会」に向かった。
バスを降り通りを右に曲がると、住宅街にいきなり大きな石の建造物が。
よくこんな所に作ったな・・・という思い。
中もゴツゴツ岩で囲まれていた。
見学を終えると、先ほどの市内観光バスで聞いた解説。「この公園はその昔ペストで亡くなった1000人を埋葬していましたが、今は公園として使われています。墓標が至る所に残されています。」え、随分さらっと説明していたけど・・・これは気になる!
トラムで向かった。
改めて観たら各所に墓標がフリーダムに置かれ、さらに大きな記念碑?の上で子どもが遊んでいた。この下に埋葬された、ということは元墓地なんですよね、うーん・・・文化の違いですね。
翌日が早いため早々にホテルに戻ることにした。
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北欧ひとり旅〜5日目
2018年8月22日(水)
開館直後に着いたからか、ほとんど来館者を見かけなかった。
館内は撮影禁止。日本人からの観光客が多いのか、日本語ガイドが充実していた。
絵本の世界が幻想的に再現されていて、見応えがあった。
ムーミン美術館のあるタンペレホールから出ると、外にもムーミンが。
公園を少し散策して、ホテルに戻った。
今日の目的地はヘルシンキ。だが、ハメーンリンナに寄りたくなった。
調べると、ヘルシンキ行きのバスを途中で下車することになる。バスは1時間に2本。金額は安く、ネットで発車10分前まで予約できる。
iPhoneで予約して、長距離バスターミナルに向かった。
座席の予約をしたが実際には乗客は10人程度。これなら予約しなくて良かった。
ハメーンリンナに到着。
バスターミナルの待合所のコインロッカーに荷物を預け、ツーリストインフォメーションへ。ハメーンリンナの地図をもらう。
地図を見ながら、ハメ城へ向かう。
途中、湖が見えて来た。そういえば、タンペレからハメーンリンナを結ぶシルバーラインがあるんだった。所要時間は8時間もかかるけれども。
そよ風が吹いていたが、湖面は静か。
静かで綺麗な景色に見とれ、しばしぼーっとしていた。
ハミ城は赤レンガの建物。すぐに見つけることができた。
チケットを買って、中を見学。
古城はうす暗く、見学客がほとんどいなくて、少し不気味だった。
入ってすぐ人形が飾ってある部屋では「わあっ!」と一人で驚いていた。
他の人が近くにいなくて良かった。
展示エリアは部屋が白く塗られていて明るかった。
ひととおり見学して、隣のハメーンリンナ砲兵博物館へ。
うーん・・・武器に全く興味がないと面白くないかも。
サーっと眺めて外に出た。
バスターミナルに戻ってくると、ヘルシンキ行きのバスまで30分あった。
そういえば、絵葉書買っていない!
寂れたバスターミナルの待合所にはムーミンの絵葉書しか売っていなかった。
私が欲しいのは、ベタベタの絵葉書・・・
じゃあ鉄道駅の売店なら売っているかな、と軽い気持ちで駅まで歩いていった。
ところが・・・
地図によると、道路は橋を渡り駅に向かう。が、高速道路が見えて来た。高速道路!?
真逆に向かっていた。
まだ3時頃だし、バスの本数もあるし、駅までは行ってみよう。
と、予定より倍の時間をかけて、ようやく駅に到着。
ここも寂れた売店があり・・・絵葉書ない!
絵葉書を作ることもないほどの小さな町なんだということがよく分かった。
駅のベンチで次のヘルシンキ行きのバスを予約し、再びバスターミナルへ。
ハメーンリンナからヘルシンキまでは1時間半ほど。
都会に近づいてきた。
バスに乗っていたら、ホテルを見つけることができた。
終点バスターミナルのすぐ近く。これは便利!
このホテルで、のんびり4泊です。
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