あの日の旅行日記〜リュブリャナ・ウィーン・ブダペスト(3)

あの日の旅行日記〜リュブリャナ・ウィーン・ブダペスト(2) - 始まりの景色

の続き。

記憶を辿っているため、記憶違いもあると思います。

1997年1月2日(木)

この旅行の最後の地、ブダペストへ。

今回の旅行、友人のKさんが大半を手配してくれた。「ブダペストって、ドナウ川を挟んでブダ側とペスト側に分かれていて、今回はブダ側にホテルを予約したよ」「へー!ブダとペスト、なんだね。チェコスロバキアチェコスロバキア、みたいだね」などと話しながらブダペストの駅へ。

ハンガリーも他の東欧諸国と同様に民主化され、通りの名前が大きく変わってしまっていた。駅の地図を見てもさっぱりわからない。予約したホテルの場所を確認しようと駅のインフォメーションセンターへ。

「このホテルに行きたいんだけど・・・」と地球の歩き方のホテルの住所が書かれているページを見せると、インフォメーションにある地図のブダ側に大きく「ここら辺」とボールペンで丸をつけてくれた。ここら辺、って・・・山全体じゃないか!?

ホテルの場所を全く特定できなかったが、頼もしいKさん、今度はタクシー乗り場で運転手にホテルの住所を見せて「ここに行きたいけど、場所分かりますか?」と聞いた。

運転手が頷いたので、「私たち、ご飯を食べてまた来るので、その時に乗せてください」と交渉した。

「なんとかなって良かったね」と話し、ハンバーガーを食べてタクシーに乗車。ホテルに無事到着した。

1997年1月3日(金)

ブダの丘の上にある「漁夫の砦」へ。

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[写真:漁夫の砦にて]

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[写真:漁夫の砦から国会議事堂を望む]

ブダペスト市街を見渡せる景色は絶景だった。それにしても寒い・・・

次は国会議事堂へ。

国会議事堂の中には入れず、近くまで行くのみ。

ブダペストに入ってから、自動車の排ガスの臭いが気になった。とにかく臭くて息苦しくなりそう・・・喘息が悪化しそうなぐらい。街中で生活している人には健康被害はないのだろうか?

大学の指導教授が「道路と車を見ればその国の経済状況がわかる」と言っていた。ブダペストの道路はアスファルトの舗装が良くなく、車も・・・そして強烈な排ガス。これから経済状況が良くなるのだろうか?

1997年1月4日(土)

この旅一番の楽しみ、温泉へ!

寮生活ではシャワールームのみでバスタブがなく、長らくお風呂に浸かっていなかった。これまでのホテルもシャワーのみ。

やっと温泉でお風呂に浸かろう、マッサージも受けよう!!と朝からウキウキ気分。

ドナウ川沿いに何軒か温泉があり、そのうち混浴ではなく男女別になっている温泉を選んで行った。入口で入場券とマッサージを申し込んでお金を払った。

Kさんから「バーデン-バーデンの温泉では男女混浴で、最初は恥ずかしいと思ったけど、周りが開けっ広げだから、段々、隠す方が恥ずかしくなっていったの」などと話を聴きながら、いくつかのお風呂を回った。

そして、マッサージへ。チップを手に握りしめて向かった。

マッサージエリアはベッドがいくつか置いてあった。マッサージの女性に「あの、これ・・・」とおずおずとチップを見せると"For a good massage?""Yes!"と渡すことができた。

マッサージ中は、ハンガリー語が飛び交い、???な中でされるがままになっていた。最後に私の肌をトンっと指で指して"Baby!"と言ったので、きっと「赤ちゃんみたいな肌ね」と褒めてくれたのだろう、と解釈して"Thank you!"と答えた。

温泉とマッサージですっかり気持ちが良くなり、ご機嫌なまま、帰路へ。夜行列車に乗って、それぞれの街へ戻って行った。