知らなかった!クラウドファンディング〜実践編
初めてのクラウドファンディング、実践編です。
10月1日から、クラウドファンディングに挑戦しています。11月24日23時まで。残りあと10日ほどになりました。
準備編は、こちら↓
- スタート2〜3週間は毎日新着情報を発信していく
- FBライブやzoomイベントでこまめに情報発信をしていく
- 寄付者の氏名がわからない
- 自団体の購入率が高いのか低いのかがわからない
- READYFORからの案内メールが嬉しい
スタート2〜3週間は毎日新着情報を発信していく
クラファンのプロジェクトページの審査がおり、予定とおりの公開が決まり、ほっと一息・・・というわけにはいきませんでした。
スタートから2〜3週間は、途切れることなく、毎日、新着情報を更新するのが良いとのこと。
内容は、
・イベントの予告
・イベントの開催報告
・日常の報告
・応援メッセージ
・リターンについての説明
など。
意外だったのは、「ストーリーを切り出して新着情報として記事にすること」。ストーリーは長文のため、記事を切り出すことで、より内容を理解してもらえるようになる。目から鱗でした。
ボランティア学生にも協力してもらい、せっせと新着記事を作成していきました。
FBライブやzoomイベントでこまめに情報発信をしていく
これまで、Facebookライブを2回、10月16日にzoomで実践報告会を開催しました。
Facebookライブは、配信動画をアーカイブとして残すことができるため、見逃した人にも届けることができます。動画のページのアクセス数が総じて高いのも魅力的。
zoomでの実践報告会は、時間をかけて活動の内容を説明したり、参加者からの質問に答えることができます。
クラファン期間中にどちらもできるよう、あらかじめスケジュールを組んでおくと良いでしょう。
寄付者の氏名がわからない
All or Nothing方式の場合、達成しないと寄付者の情報を見ることができません。また、郵送するリターンがある場合、住所の取得時に寄付者の氏名がわかりますが、リターンがメールのみの場合はメールアドレスとニックネームでも支援ができるため、本名を知ることができません。
特にクラファン初期は、スタッフ知人か既存寄付者からの寄付がほとんどのため、ニックネームで寄付いただいた方については、団体内で「知人かどうか」「心当たりはあるか」をSlackで確認し合い、心当たりのあるスタッフからも直接お礼をしました。
自団体の購入率が高いのか低いのかがわからない
クラファンの管理画面で表示される、ページ訪問と寄付者から算出される「購入率」。どれだけ調べても、平均値などが出てこないので(自分の調べ方が悪いだけなのかもしれませんが・・・)、この購入率が一般的に高いのか低いのか、さっぱりわかりません。
ただ確実に言えるのは、「団体内の経験値を積んでいく」ことなのかなと・・・
クラファンを何回か経験することで、その団体独自の「基準値」ができてきて、その「基準値」を元に、ページ訪問者を増やすための努力、寄付者を増やすための努力が必要となることは、間違いありません。
READYFORからの案内メールが嬉しい
今回、シンプルプランのため、節目にメールが届く程度ですが、このメールや参考ページ(サプリ)の内容が親切で、感動しています。
多くのプロジェクトを手がけているプラットフォームならではの「成功の法則」がぎゅっと濃縮されていて、非常に参考に。
私たちのプロジェクトの結果も、間接的ながら、これからチャレンジするプロジェクトに貢献できているのかなと考えると、「ファンドレイジングのエコシステム」を感じています。
クラウドファンディングはネクストゴールに挑戦中!11月24日23時までです!
あの日のドイツ留学記〜エピソード3ソナチネを観て「やる気がしねーよ」
注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。
続きです。
今回は、ドイツで観た日本の映画について。
ソナチネ
学生寮で隣の部屋の友人C君が「日本の映画を字幕上映するらしいから、一緒に観に行かない?」と誘ってきました。
この友人は、私の前に滞在していた日本人学生(女の子)と仲良くなり、その子は帰国したため遠距離恋愛中。日本語の学習に熱心でした。吹き替えではなく字幕上映はドイツでは珍しく、せっかくなら観にいこうと思ったようです。
映画は北野武監督の「ソナチネ」。北野映画を観たことがなく、あまり前知識がないまま出かけました。映画館はかなり埋まっていたように記憶しています。
映画を観終わった帰り道。
「Izmy、僕の知っている"Ich weiss es nicht."は日本語で"しらない"。なのに、映画では"しらねーよ"って言っていたのはなぜ?」
「あーそれは、口語で、"ない"を"ねー"や"ねーよ"って、主に男の人が口にする表現。女の人はあまり言わない。」
「そうなんだ・・・」
数日後。
「Izmy、僕は課題をやらなくてはいけない。"やるきが、しねーよ"。あってる?」
「うん・・・」
彼女に「誰に教わったのよ!」と怒られるんじゃなかろうか、と余分な心配をしつつ、C君はとても満足気でした。
愛のコリーダ
映画といえば、もう一つ。ある日、部屋のテレビで何やら日本の映画をやるらしいと知りました。
ドイツ語でタイトルは"Im Reich der Sinne"。
Reich=リッチ? Sinne=??
かなり古い映画らしい。
と、何気なく観ると・・・
これは・・・!!
しかも、ドイツでは無修正版。
え???!!!いやいや???!!!の連続。
そして延々と続く濡れ場シーンに段々つらくなり・・・最後までは観られませんでした。
翌日、韓国人の友人が「昨日の日本の映画・・・すごかった・・・」と話しかけてきました。
留学期はまだ続きます。
知らなかった!クラウドファンディング〜準備編
これまで事務局としてのみ関わってきた「寄付を集める」ということを、直接自分が手を動かす機会を得ることができました。
現在の仕事の一つであるNPO法人サンカクシャの文京区居場所事業についてのクラウドファンディグ。2021年10月1日〜11月24日「文京区で中高生や若者が自分の『好き』を探せる居場所を継続したい!」プロジェクトを目標金額100万円で実施中です。
クラウドファンディングは寄付キャンペーンの一つで、「ファンドレイジング7つのステップ」の要素がぎゅっと濃縮されています。
余談ですが私の屋号「セブンス・ステップ」の由来でもあります。
クラウドファンディングはとにかく準備が大事!!ということを繰り返し学んできて、いざ始めると「知らなかった・・・」ということがいくつも出てきました。
今回は準備編で気づいた「知らなかった!」をご紹介。
なお、今回のクラウドファンディングはREADYFORで開設しましたので、他のプラットフォームでは異なるかもしれません。
- クラウドファンディング準備の基礎知識
- 認定を取得していない特定非営利法人はAll or Nothing型のみ
- プロジェクトページの準備に6週間はかかる
- チラシを作るのに時間がかかる
- プレスリリースの準備に1〜2週間かかる
- SNSの準備は早めに
クラウドファンディング準備の基礎知識
「クラウドファンディング 成功するには」や「クラウドファンディング 準備すること」などを検索すると、いろんなページが出てきます。参考にしてください。今回は割愛します。
認定を取得していない特定非営利法人はAll or Nothing型のみ
クラウドファンディングには、目標金額を達成した場合のみ支援金を受け取ることができるAll or Nothing型と目標金額の達成の有無にかかわらず支援金を受け取ることができるAll in型の2種類があります。READYFORではその条件を下記のとおり規定しています。
All In型は、以下の団体においてご利用可能となっております。
・税制上の寄附金控除の適用対象である団体(国、自治体、大学、学校法人、認定NPO法人、公益社団法人、公益財団法人、社会福祉法人など)
・上場企業
サンカクシャは認定を取得しておらず寄附金控除の適用対象外のため、All or Nothing型一択でした。
申し込むまで知らなかった・・・
プロジェクトページの準備に6週間はかかる
今回、クラウドファンディングに挑戦すると決まったのは8月中旬。その時には9月中旬から始める予定でした。4週間程度あればなんとかなるかな、くらいの認識でした。
その予定を最終的には10月1日に延ばしたのですが、ギリギリ間に合った・・・
<理由>
・一般申し込みをしてから、知人に提携パートナーがいると知り、申し込みをし直す
・申し込みをしてから READYFORとの電話相談を予約する
・プロジェクトページを作り込むのに日数がかかる
・ページの審査ボタンを押すと基本は3営業日を待たないといけない
特に、「プラットフォーム(今回はREADYFOR)に申し込みをしてから結構日数がかかる」という認識がなく、申し込み自体を遅らせてしまった・・・早く準備ページを見ながら作り込みをすれば良かったです。
一度出してしまうと修正できない、タイトル・URL(末尾のプロジェクトページを端的に表す言葉)・リターンなどは、当たり前ですが一人では決められません。団体内の関係者に案を提示し、修正をし、また確認してもらい・・・というのを繰り返していると、あっというまに日数がすぎていきました。
チラシを作るのに時間がかかる
今回はサンカクシャのアニュアルレポートの発送の予定があり、その発送にあわせて既存寄付者に予告チラシを送ることに。
webページでは多少長くなっても下にスクロールすれば良いところ、チラシの場合はA4に収めなくてはならず、さらに読みやすく・・・と、クラウドファンディングで伝えたい内容をぎゅっと濃縮しなくてはいけません。
ちなみにもう一種類、別のステークホルダー向けのチラシも作りました。チラシも配布先によって、「団体との関係性(団体の説明から必要なのかどうか)」「手に取る人に最も訴えたいこと」「手に取る人に取って読んでもらえるビジュアルになっているか」などで工夫が要りました。
チラシ自体を一から作ったことがなかったので、今回、ものすごく勉強になりました。
プレスリリースの準備に1〜2週間かかる
今回は、クラウドファンディングのページをオープンしてから、プレスリリースを作りました。もしページオープンと同時にプレスリリースも・・・ということでしたら、相当しんどかった。1週間以内にできれば・・・と思いつつ、リリースできたのは10月12日でした。
SNSの準備は早めに
クラウドファンディングが始まるとSNSを活用することになります。が、そこからスタートしていては遅い。TwitterやFacebookでフォロワーを増やしておくことが必要です。
クラウドファンディングをするぞ!と決めた日から、着々と準備を進める必要があるのです。
始まってからも初めてのことばかり!その模様はまた、後日。
あの日のドイツ留学記〜エピソード2クリスマスにきよしこの夜
注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。
続きです。
ロータリー財団ホストに英語で話しかけられる
フランクフルトから列車に揺られること数時間、オスナブリュック駅に到着。ロータリー財団のお世話係の家族の家でホームステイをさせてもらうことになり、ホストファミリーのお母さんが車で迎えに来てくれました。
道中、なぜか英語で話しかけられ続け・・・ドイツ語が苦手だけど英語はもっと苦手、なぜドイツに来てまで英語を話さなくてはならないのか・・・と思い、「ドイツ語で話していただけますか?」と伝えました。
お母さんは「あなた、ドイツ語が話せるのね」といたく感激している様子、「ドイツ語が話せるのでなくて英語が話せない!」と複雑な気持ちで接していました。
夕食タイム。「さあ、召し上がれ!」と豪華な夕食が・・・
出るわけではなく、パンとハムとチーズが。
その時にはまだ知りませんでした。
ドイツでは、カルテス・エッセン=冷たい食事、つまり火を使わない食事を夕食としているのが一般的なことを。
戸惑いしかなかったです。日本にいるときに夕食をパンだけで済ませたのって、食費を削る時しかなかったから。
そんな初日でしたが、このお宅には学生寮に入るまでの間、数週間、お世話になりました。
大学で友人にばったり出会う
行ったばかりのエピソードとして強烈だったのが、学生保険の手続きに行った時のこと。お母さんと2人で行き、書類の内容がチンプンカンプンな中、「ここにサイン」と言われるがままにサインしたりしていると
「izmyさん!」
と日本語で呼びかけられました。
え、この聞き慣れた声は・・・
大学時代の同級生のY君がニコニコしながらやって来ました。
Y君、大学を卒業して上野のヨドバシカメラでバイトを始めたところに冷やかしに行ったくらい、まあまあ仲良しでした。が、ドイツに留学するとは知りませんでした。ましてや同じ大学!?
日本ではおそらくあまり知られていないオスナブリュック大学、日本からの留学生は4人だけでした。うち、2人は哲学を専攻している大学院生同士のご夫婦。あと、Y君と、私。
Y君には、確か、オスナブリュック大学に留学することを伝えていたんだと思います。でも私は知らなかった。
「え、どこの寮?」と連絡先を交換して、その日は別れました。
クリスマスにきよしこの夜
大学には短期留学生として登録したものの、授業についていける語学力は相変わらずないため、オスナブリュックでも語学学校に通っていました。
午前中に語学学校、午後はいくつか履修した授業に出席。そして図書館で文献探し。
語学学校は中級クラス。駅前のバス停からバスに揺られて20分くらいかけて通っていました。このクラスで日本人は私だけ。アジア系は誰もおらず、東欧とロシアの生徒が多くいました。先生は2人。うち1人の先生は中国語を趣味で勉強しているということで、授業以外でも話しかけてきてくれて、家に招いてくれたことがありました。
この年のドイツは「30年ぶりの大寒波」と言われ、日本で経験したことのないような寒さでした。
日本で買った安物の靴は石畳で底が擦り切れ、これでは冬は越せない・・・と靴屋さんへ。
日本の靴のサイズでは22cm、ヨーロッパサイズでは33(確か)。大人の靴のコーナーには売っていませんでした。
仕方ない・・・
キッズコーナーへ行ってブーツを一足購入。
デパートで靴下を探した時には「参考年齢:7-8歳」と書かれていて、思わず店員さんに声をかけて聞いてしまいました。
「あくまで参考だから」と店員さん・・・
ブーツを購入、セーターもプルオーバーもOK。本格的な冬の前に日本から冬服が到着しました。
クリスマスの前、年内最後の授業の日。
その日は朝から大雪でした。「でも授業だしな・・・」と語学学校に向かうと。
真面目に授業に現れたのは2人だけ。「授業はなしね」となり、クリスマスの話題に。
クリスマスの歌は何かあるか、と聞かれ、「きよしこの夜」なら、日本語でだけど、と言うと。「歌って」
「き〜よ〜し〜♪」と歌いました。
もう1人の生徒もクリスマスの歌を歌い、その日の授業(?)は終了。
まだ続きます。
あの日のドイツ留学記〜エピソード1フランクフルトとローレライ
私が四半世紀前の記憶を辿ってブログを書いているというと、お友だちから一言「現実逃避だね・・・」・・・はい。
注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。
96年に大学を卒業して大学院に進学し、夏からドイツへ留学することになりました。
ロータリー財団の奨学金を受けられることになったのです。ただし「大学に入る前にフランクフルトの語学研修を受けること」の条件付きで。
相変わらず語学力が足りないまま、フランクフルトでの生活が始まりました。
語学漬けの日々
フランクフルトではホームステイ先から「ゲーテ・インスティトゥート(Goethe-Institut、ドイツ政府が設立した公的な国際文化交流機関)」でドイツ語を勉強する日々が始まりました。
クラスの半数は日本人で、アメリカ人・イタリア人がちらほら。全員、ロータリー財団の奨学生。専門は、音楽、ドイツ文学の人が大半だったと記憶しています。
初級クラスに在籍し、午前中は授業。午後はフリータイムでしたが、宿題が多く、ランチを食べたら部屋に戻ってドイツ語を勉強する日々でした。
「私たちはドイツ語を勉強しに来たのよ。日本語禁止!」とストイックなクラスメイトがいたお陰で、全員日本人の時でも片言のドイツ語で会話していました。
気楽な一人部屋
滞在先は、アパートの地下の一室。ホストの女性は別の階に住居があったので、時折、掃除の人が訪れる程度。気楽な一人暮らし状態でした。
一度、クラスメイトがホームステイ先でトラブルになり、「ホストに会いたくない」と悩んでいたので、「うち、来る?」と泊めたことがありました。
半地下のため陽の光が入りますし、語学学校まで歩いて10分程度。住環境には恵まれました。
ライン川下りでローレライの歌を熱唱
フランクフルトでは観光がほとんどできませんでしたが、語学学校のアクティビティでライン川下りに行きました。
バスで船着場まで行き、フェリーに乗り込みます。ライン川ののんびりした流れは心地良く、フェリーではコーヒーを飲んだりして過ごしていました。
クラスメイトに声楽が専門の子がいました。
ローレライ。ライン川にある、水面から130mほど突き出た岩山のこと。水難事故が多かったことから、「岩山にたたずむ美しい少女が船頭を魅惑し、舟が川の渦の中に飲み込まれてしまう」というローレライ伝説が生まれた、らしい。
そのローレライに近づくと、ローレライの歌のメロディが流れてきました。
「歌うのよ!」とストイックなクラスメイトに急かされ、楽譜を見ながらドイツ語の歌をみんなで歌ったのでした。
他の乗客からは好奇の目で見られていたに違いない・・・
急速に近づく冬とヘルペス
語学学校に入ったのは夏、のはずだったのに・・・フランクフルトは急に寒くなってきました。まだ9月なのに!夏服では寒くて仕方がないため、デパートで洋服を探すことに。
タートルネックのセーターとプルオーバーを購入。
天気も曇りが多く、鬱々とした日々でした。
そんなある日、唇に異変が。ピリピリ痛むのです。
「ひょっとして口唇ヘルペス・・・」嫌な予感が当たりました。
薬局に行って唇を見せて、塗り薬をもらいました。
弱目に祟り目。唇が治らないまま、語学研修を終えて留学先に向かうことに。
それぞれの留学先へ
1ヶ月の語学研修が終わると、いよいよ各地に分かれて留学することに。
留学地は、ベルリン・ケルン・ブレーメン・・・と、主に西ドイツに行く人が多かったように記憶しています。
私が向かうのはオスナブリュック。北ドイツのニーダーザクセン州にある中規模の街で、フランクフルトからは列車で3時間程度。
イヤホンでMr.Childrenのアルバムを繰り返し聴いていたので、列車からのライン川の眺めと「【es】 〜Theme of es〜」をセットで思い出します。
せっかく仲良くなった友だちともお別れ。感傷的になりながら、オスナブリュックへ一人向かいました。
続きは、また。
あの日のドイツ留学記〜エピソード0その2
あの日のドイツ留学記〜エピソード0その1 - 始まりの景色 の続きです。
注:記憶を頼りに書いているため、記憶違いがあると思います。
古いパスポートが出てきました。
出国スタンプと入国スタンプによると、1993年7月31日から9月5日にかけてドイツに行っていました。確か最後の1週間は自由行動で、パリとロンドンに旅行に行ったことを覚えています。
前回の記事のとおり、語学学校では散々な状態でしたが、観光については充実していました。今回は、期間中に出かけた旅の記録。
週末のデンマーク旅行
語学学校に通っていた最中の週末に、友人の友人が住んでいるというデンマークの首都コペンハーゲンに出かけました。
ここでの思い出はなんといっても「渡り鳥ライン」。列車に乗っていると、そのままフェリーに車両ごと乗り、フェリーでは海上の景色を楽しみ、デンマークに着くと再び列車に乗り込む、というものです。
こちらの渡り鳥ライン、どうやら2019年12月で運行が休止された模様。
あの時に乗ることができて良かったです。
コペンハーゲンといえばアンデルセン童話の人魚姫の像がありました。想像より小さくで拍子抜けしたことも覚えています。
ブレーメン近郊へのバス旅行
語学学校のアクティビティで遠足がありました。
ブレーメン近郊にバスに乗り、「芸術家の村」と「干潟の海」に行ったことをうっすら覚えています。
今回調べてみたら、どうやら、
・芸術家の村というのは「ヴォルプスヴェーデ」
・「干潟の海」というのは「ワッデン海(ヴァッデン海)」
のようです。
どちらもアクセスはあまり良くないため、長期滞在でないと行く気になれない場所。
ブレーメンで語学学校に通っていたからこそ観光できた場所でした。
パリのベルサイユ宮殿で声をかけられる
語学研修を終えた後には自由行動でパリに向かいました。パリではとにかくメインの観光スポットを訪れました。シャンゼリゼ通り、ルーブル美術館・・・パリの三越では母親へのお土産にエルメスのスカーフを買いました。
当時、パリやミラノの目抜き通り(ブランド通り)を歩くと、知り合いに出会うと言われていました。夏休みや春休みと行った学生の旅行シーズンに、人気観光地に行くと誰かしらに出会う、と。今はコロナ禍なので旅行自体がなかなかできないのですが、昨今はどうなのでしょう?
シャンゼリゼ通りは通っただけなので、特に何もなかったのですが、ベルサイユ宮殿のお庭を歩いていると
「izmyさんですよね?体育の授業で一緒になったことがある◯◯です」と声をかけられてビックリしました。顔を覚えるのが苦手なので、私にとっては失礼ながらお会いしたことがあるような、ないような・・・?な認識程度の人だったのですが、まさかこんなところで声をかけられるとは。
・・・そんなこんなで、「次は留学したいな」と無謀にも淡い希望を持つようになりました。
エピソード0はここまで。次は1996年に飛びます。続く。
クラファン実践は大きな学び〜大学チャプター勉強会に参加して
「百聞百見は一験に如かず」(松下幸之助氏の言葉)
「学問なき経験は経験なき学問に勝る」(イギリスのことわざ)
「バーゼル大聖堂の展望台へは木製の狭い階段を上るしかなく高所恐怖症で足がすくみましたが眺望は最高でした」(izmyの言葉)
3つを並べるなんてと自分でも思っております・・・
大学チャプター勉強会で、クラウドファンディングをテーマにした勉強会が6月29日に開催されました。大学チャプター勉強会としてはこれが2回目です。
1回目の様子はこちら↓
2年ぶり2回目となる今回のトピックは「もっと知りたい!学術クラウドファンディング ~ファンドレイザーやることリスト全公開~」。モデレーターの高橋麻子さん(東京大学ファンドレイザー)とスピーカーの小出静代さん(徳島大学URA)による、「実際のところ、学術クラファンやるとしたらどうなの?」という疑問に応える盛り沢山な内容となりました。
私自身は別件と重なってしまい後半からしか参加ができなかったのですが、特にOtsucle(一般社団法人大学支援機構が運営するサイト)のクラウドファンディングのプロジェクトをいくつも手がけている小出さんの、実際のデータを元にした資料は圧巻でした。
「クラウドファンディングのサイトを立ち上げただけでは寄付金は集まりません。寄付金は"集める"のです。」という半ば当然かなと個人的には思っていることについて「サイトを作ったので、自分から寄付の呼びかけをするのはちょっと・・・」と抵抗感を示す方がいる、という現実。
ここには寄付について「施しを乞う」「施しを受ける」といった意識が根強く残っているからなのかな・・・と考えています。
寄付をいただくのは「社会課題へのチャレンジに応援してもらう」こと。寄付する側も、寄付される側も、この寄付意識へのブレイクスルーが大事なんんだなと改めて。
そんなしたり顔で書いている私自身も、数年前に「お金をくださいって言えますか?」というファンドレイジングのセッションタイトルを見たとき、「・・・言えないようなぁ」と考えていました。
クラファン自体を実践したことがないため、「実践した人にしか見えない景色がある、得られない知見がある」と勉強会の感想を持ちました。
そんな私ですが、クラファンを実践する機会が訪れました!
バックオフィス支援で関わっているNPO法人サンカクシャで、文京区拠点の移転を機に、居場所機能の拡大と運営継続のためにクラウドファンディングを10月1日から実施します!
サイトつくりから学びばかりを得られる日々。詳細は後日お知らせします。
勉強会の内容について実践を通じてさらに学びを深められる喜び。
ブログを通じてお伝えしていけたら。ぜひご期待ください!